あることがつらくなった時
そんな時には
じつは
別の良いことが現れている
つらいことと
良いことは
いつも同時に起こっている
そのことに
気づく時もあれば
気づかない時もあるだけ
つらいことが起こった時には
別の良いことが顔を出してきて
じつはさかんに伝えてきている
身うごきがとれなくなってしまい
行きづまった心に
「こっちだよ」
と何度も呼びかけてきている
行きづまったきゅうくつな心は
それに気づきかけても
「だって、そっちへ行くと
あちらもこちらも面目が立たないし」
とぐつぐつ言い訳をしたがる
きゅうくつな心は
狭い壁にとり囲まれていて
ひとつのことしか見えない
いつも目線は斜め下
狭い壁は
常識と呼ばれていたり
現実と決めつけられたりしている
われわれの共通な幻想のこと
それでもなお
別の良いことは呼びかける
心に届くまで
幻想の壁をとんとんと叩きつづける
「こっちだよ」
「こっちに来れば
もっと愉快なことがあるよ」
「こっちに来れば
心を自由にできるよ」
きゅうくつな心は
やっと呼びかけに応じ
ふと目を上げてみる
おそるおそる
周りを見回すと
あっちからもこっちからも
やたらにメッセージがやって来ているので
ちょっと気になってくる
「そうだな
一度くらいちょっと羽目をはずしてみても
まだフォローはきく範囲だな」
「今回は
愉快な方を選んでみてもいいかな」
「そうすればまた
いいアイディアも浮かぶかも」
「それよりなにより
こんな状況にいつづけて
自分の心を傷つけているより
自分の心を楽しませて
元気づけてあげよう」
そんなふうに
自分に言い訳をあれこれと考えながら
いつしかすっかり乗り気に変わっている
そして一度決めたら
もう腹が据わっている
それは幻想の壁をこわした証拠
そうして、きゅうくつだった心は
素直な心に変容をとげる
目線は斜めちょっと上(キラ)
その時
自由な心の応援部隊は
待ってましたとばかりに
ファンファーレを頭上に鳴らす
盛大な拍手喝采が響きわたる
(聴こえていないだけで)
つらいことが起こった時
そんな時は
じつは
別の良いことが同時に現れている
いつでも選択をするように
呼びかけている
その選択は
一見
簡単なことには思えないのだけれど
じつは
素直になればいいだけのこと
素直になれば
自分の現実はまっすぐに整ってくる
素直な心にしたがって選択をすれば
いつしか自分にぴったりのチャートへ行き当たる
あみだくじのように
そこには
自分にぴったりの答えが
書いてあるだろう
困った状況におちいった時は
目の前に別の選択が置かれている
まるで生きている
あみだくじのように
そこに道が生まれている
こっちにも行けるよ
そんなふうに何気なく呼びながら
だから
ほら
ファンファーレの聴こえる方へ
歩いてみない?